2022.01.30 09:31§22. 何度でも来たい町・シビウ 2010.8.9 8月9日9時にクルージュ・ナポカを出発した私たちは、200キロの道のりを3時間あまりかけてシビウ(Sibiu)の町に到着しました。 【シビウの大広場・小広場】 Piața Mare, Piața Mica 2010.8.9 ブラショフやクルージュ・ナポカなどと並んでシビウもとてもきれいな町です。大広場から小広場にかけてゆっくり時間をかけて散策しました。テラスでは多くの市民が食事や喫茶を楽しんでいました。私たちも小広場のテラスで食事をしました。私はチョルバ・デ・ブルタとスパゲッティとコーヒーをいただきました。 大広場と小広場の間には町のシンボルである時計塔がありました。 次に教会を見学しました。福音教会(Biserica Evan...
2022.01.28 06:25§21. クルージュ・ナポカの城跡 2010.8.8 8月8日、サリーナ・トゥルダ(Salina Turda)を見学し終えると、私たちはクルージュ街道の途中で昼食をとり、14時40分にクルージュの中心街(Centru)に入りました。 【城塞】 Cetătuia 2010.8.8 最初に訪れたのは城塞です。かつてこの地には立派なお城が築かれていたのでしょうが、現在はかつてここがお城であったことを示す記念碑と城壁の名残をとどめる石垣の遺構があるだけで、辺り一帯は公園として整備されていました。とても感じのいい公園でした。民族の英雄と書かれた記念碑の前で写真を撮りました。この記念碑の上部は十字架になっています。 城塞は小高い丘にあり、クルージュの町並みを一望できました。絶好...
2022.01.25 02:26§20. サリーナ・トゥルダ(岩塩鉱) Salina Turda 2010. 8.8 8月8日午後12時、私たちはトゥルダ(Turda)の町にあるサリーナ・トゥルダ(Salina Turda)を見学しました。salină は「塩鉱・塩田」」を表す単語です。かつてここでは岩塩が採れたためにいくつもの坑道が掘られ、塩の鉱山のようになっているのだろうと想像しました。 広大な平地にそれほど大きくない体育館程度の大きさの建物が建っていました。その建物を囲むようにして、周囲の道路には至る所に観光に訪れた人々の車が停めてありました。私たちもその建物からずいぶん離れた道路に車を停め、10分くらい歩きました。 建物の中は見学する人々であふれかえっていました。私は建物に入る前は、ここはかつて岩塩を採掘した当時の様々な資料を展示する資料館なのかな...
2022.01.23 11:40§19. 【ビカズ峡谷・ビカズ湖・ロシュ湖】 Cheile Bicazului•Lacul Bicaz•Lacul Roșu 2010.8.7 ブコビナ地方の修道院巡りを終えるとコステルが言いました。「サトーに見せたいものがある。ビカズ峡谷だ。なにしろルーマニア一番の景観だと聞いている。そこにはビカズ湖とロシュ湖があり、大きな滝もある。きっと君も気に入るだろう。実は私自身も是非見てみたいのだ。」 私はその提案を嬉しく思い即座に同意しました。ところが山道は九十九折りにくねっていて、走っても走っても目的地にはなかなか辿り着きません。 15時40分、私たちはようやくビカズ峡谷に到着しました。グラ・フモールルイから昼食時間も含め、延々4時間40分を要しました。 ビカズ峡谷の駐車場はどこも車でいっぱいでした。駐車場の近くには出店が立ち並び、多くの旅行者でにぎわってい...
2022.01.21 02:11§18. フモール修道院とヴォロネツ修道院 Mănăstirea Humorului și Mănăstirea Voroneț 2010.8.7この日の午前中グラ・フモールルイの町にある二つの修道院を見学しました。
2022.01.20 02:49§17. スチャヴァの大城砦 Cetatea de Scaun a Sucevei 2010.8.6 16時30分にスチャヴァに到着しました。私はこの町で聖ゲオルゲ・ノウ教会と大城塞を見学しました。 モルドヴァ公国の初代大公ペトル1世が1388年にこの地に城塞を構え、以後歴代の君主によって拡充強化され、難攻不落の大城塞になったということです。観光案内書には Zidurile Cetățiiと載っていましたが、そのように尋ねても地元の人も首をひねるばかり。訪ね当てた大城塞にはCetatea de Scaun という名称が当てられていました。中世期のモルドヴァ栄光の時代に築城されたものの中では最大のものと言われています。 スチャヴァを見学した後、私たちはグラ・フモール方面に車を走らせ、夕方ホテルに入りました。
2022.01.19 04:24§16. プトナ修道院-聖天使たちのフレスコ画 Mănăstirea Putna 2010.8.6 【プトナ修道院】 Mănăstirea Putna プトナ修道院に着いたのは14時30分でした。ここはシュテファン大公が1466年に建てたものだそうです。シュテファン大公ゆかりの遺品を展示する博物館があったのでそこも見学しました。大公の愛用した sabie(剣)などがあり、興味深く見ました。聖堂の内部には聖天使たちのイコンが描かれ、そのフレスコ画は息をのむような美しさでした。 広い庭内をゆっくり散歩しました。清めの井戸があったので、そこで手を洗い、口をすすぎ、花々に囲まれながら写真を撮りました。
2022.01.18 03:52§15. 施しをもらってはいけない 2010.8.6【スチェヴィッツァ修道院】 Mănăstirea Sucevița スチェヴィッツァ修道院には13時に着きました。門前には出店が立ち並び、イコンなどの土産物を売っていました。敷地内の広場では祭礼が行われ、多くの信者であふれていました。やがて祭礼が終わると賛美歌の歌声が響いてきて、広場では神父たちが信者にパンの施しを始めました。私が興味深そうにすると、コステルは、「君は異教徒なのだからパンの施しをもらってはいけない。」とたしなめました。 聖堂の内部は金の装飾が施され、とても厳かな雰囲気に満ちていました。
2022.01.17 02:17§14. モルドヴィッツァ修道院 Mănăstirea Moldovița 2010.8.6 この日はボクダン・ヴォーダのペンションを8時前に出発し、マラムレシュ地方からブコビナ地方へと大移動の日になりました。この日はイエスの祝日の一つ Schimbarea la fața の日なので、朝食が出ない特別な日だったのです。11時近くになってようやく山荘を兼ねたレストランが見つかり、遅い朝食を食べることができました。 修道院巡り最初の地モルドヴィッツァ修道院には正午に到着しました。多くの観光客で賑わっていました。敷地内には綺麗な建物が多く、窓辺には美しい花が飾られていました。 お堂に入ると撮影は禁止でした。撮影できる場所も少しありましたが、その場合には撮影料を払う必要がありました。お堂ではイコンに口づけしたり蝋燭を灯してお祈りする人々を多く見かけ...
2022.01.16 01:06§13. ボグダン・ヴォーダ村の木の教会 2010.8.5 ブルサナ村の次にボグダン・ヴォーダ村の木の教会を見、その夜はこの村に宿泊しました。村の中心に感じのいいペンションが見つかりました。ペンションの向かいに聖王ボグダン・ヴォーダの銅像が立っていました。 夕食はトキトゥーラ(豚肉とソーセージのシチュー)、ミテティ、サラダ、ビール、白ワインと豪華版になりました。運転手のコステルが旅行の費用がかさまないようにと気遣ってくれるので食事くらいは好きなものを食べ、好きなものを飲んでほしいと思い、財布の紐を緩めました。
2022.01.15 01:14“Amintiri din tinerețe”を出版しました。 私の学生時代の思い出をルーマニア語で書いた回想記“Amintiri din tinerețe”(『青春の思い出』)を12月12日に出版しました。 この本はルーマニア語の勉強を深める目的で始めた作文をまとめたものですが、多くのルーマニア人から教えをいただきながら長い歳月をかけた末にようやく完成しました。大学のサークル活動、アルバイト、東北一周旅行、京都への一人旅、下宿生活、大学紛争、教育実習、採用試験、卒業論文の思い出など116のエピソードが収められていますが、全編を貫いているテーマは叶えられることのなかった初恋への哀惜の思いです。 編集は関口コルネリア女史、表紙は小笠原イルディコ女史がデッサンしました。また前書きは関口コルネリア女史、後書きはヴェロニ...