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 シビウの見学を終えピテシュティへと向かう途中アルジェシュ県(Județul Argeș)にあるコトメアナ修道院(Mănăstirea Cotmeana)を見学しました。鄙びた村にある素朴な修道院でした。村の少年たちが4,5人遊んでいて、私の顔を珍しそうに見ました。
 井戸水で手を洗い清めてお堂に入り、ろうそくを灯し、ここまでの旅行の無事を感謝してお祈りしました。コステルはイコンに口づけし、同じようにお祈りしました。
 そしてその日の夕方、ようやく車はピテシュティに入り、二晩お世話になるミキ邸に到着しました。

 

 8月9日9時にクルージュ・ナポカを出発した私たちは、200キロの道のりを3時間あまりかけてシビウ(Sibiu)の町に到着しました。
 
【シビウの大広場・小広場】 Piața Mare, Piața Mica  2010.8.9

 ブラショフやクルージュ・ナポカなどと並んでシビウもとてもきれいな町です。大広場から小広場にかけてゆっくり時間をかけて散策しました。テラスでは多くの市民が食事や喫茶を楽しんでいました。私たちも小広場のテラスで食事をしました。私はチョルバ・デ・ブルタとスパゲッティとコーヒーをいただきました。
 大広場と小広場の間には町のシンボルである時計塔がありました。
 次に教会を見学しました。福音教会(Biserica Evanghelica)と呼ばれる教会でした。ゴシック建築のプロテスタント教会だということです。ステンドグラスがとてもきれいでした。
 歴史博物館(Muzeul de Istorie)にも入りました。
銃器・刀剣などが展示されていましたが、庭や建物などもきれいで、ベンチに腰をかけ、ゆっくりと雰囲気を楽しみたくなる博物館でした。
 シビウには五年前も来て、もう一度是非訪れたいと思った町ですが、二度目の今回もほんとうにいい町だと思いました。シビウは私のお気に入りの町になりました。
 
 8月8日、サリーナ・トゥルダ(Salina Turda)を見学し終えると、私たちはクルージュ街道の途中で昼食をとり、14時40分にクルージュの中心街(Centru)に入りました。
 
【城塞】 Cetătuia    2010.8.8
 最初に訪れたのは城塞です。かつてこの地には立派なお城が築かれていたのでしょうが、現在はかつてここがお城であったことを示す記念碑と城壁の名残をとどめる石垣の遺構があるだけで、辺り一帯は公園として整備されていました。とても感じのいい公園でした。民族の英雄と書かれた記念碑の前で写真を撮りました。この記念碑の上部は十字架になっています。
 城塞は小高い丘にあり、クルージュの町並みを一望できました。絶好のロケーションでした。
 ベンチで語らう人や公園を散歩する人などが大勢いましたが、旅行者はそれほど多く見かけませんでした。
   
【統一広場】 Piața Unirii    2010.8.8

 統一広場の一角に車を停め、市内を散策しました。ヨーロッパ風のすてきな建物を見るたびにカメラに収めて歩きました。たくさん写真を撮りました。テラスでアイスクリームを食べ、コーヒーを飲みました。
 コステルがテラスでたばこを吸っている間、20分くらい一人で広場を散策しました。通りのあちこちに花がきれいに飾られていました。本屋があったので入りました。デックス(DEX)がおいてあるか尋ねたら、お店の人が二種類あると言って二冊持ってきました。一冊はあまりにも大きくて、重くて、旅行の帰りにこれを持って帰るのは大変だと思い、小さいのを買いました。(でもやっぱり大きいのを買うんだったと後悔。)
 16時30分に今夜の宿泊先、ホテルベータ(Beta)にチェックイン。
 この日はクルージュ・ナポカにお住まいのKさんとレストラン・ミラーブで夕食を共にしました。 
 8月8日午後12時、私たちはトゥルダ(Turda)の町にあるサリーナ・トゥルダ(Salina Turda)を見学しました。salină は「塩鉱・塩田」」を表す単語です。かつてここでは岩塩が採れたためにいくつもの坑道が掘られ、塩の鉱山のようになっているのだろうと想像しました。
 広大な平地にそれほど大きくない体育館程度の大きさの建物が建っていました。その建物を囲むようにして、周囲の道路には至る所に観光に訪れた人々の車が停めてありました。私たちもその建物からずいぶん離れた道路に車を停め、10分くらい歩きました。
 建物の中は見学する人々であふれかえっていました。私は建物に入る前は、ここはかつて岩塩を採掘した当時の様々な資料を展示する資料館なのかなと思いました。ところがそうではありませんでした。やはりかつての坑道がありました。坑道の壁は塩の壁でした。手で触ると氷のようにひんやりしました。坑道はいくつもあって、私たちは順路に沿って奥へ奥へと進みました。
 坑道の一角にマリア様が祭られていました。その昔作業の無事を祈ったものでしょうか。あるいは落盤などの事故でなくなった作業者の慰霊のためのものだったでしょうか。
 坑道は次第に地下へ地下へと続いており、奥へ行くに従って気温が低くなっていきました。外は30度を超す気温なのにここは20度程度しかないようでした。
  坑道が尽き、坑道の出口から身を乗り出して、私はびっくりしました。目の前に東京ドームを何倍にも大きくしたような巨大な空間がありました。その空間は私たちの立っている位置をてっぺんにして、地下300メートル以上も下に続いていました。(残念ながら私には正確な規模がわかりません。)
   その巨大な空間は一大レジャーランドでした。観覧車が回っていました。動くティーカップもありました。テニスコートや卓球場もありました。更に地下には池まであり、そこでは大勢の人がボートに乗っていました。コンサートホールまでありました。
 地下に続く階段が左右にあり反対側の階段を見ると、隙間もなくびっしりと観光客が地下へ地下へと歩いているのが見えました。きっと私たちの側の階段も同じように大勢の観光客が地下を目指して歩いているのでしょう。
  コステルが「下まで歩いていくか。」と聞きました。下まではかなりの運動量になるはずでした。「ああ、行こう。」と私は言いました。一番下まで行き、地面にある大きな砂粒を広い、舐めてみました。するとそれは砂ではなく、塩でした。赤や青や黄や、様々な色のライトが巨大な空間を照らしていました。
 帰りにコステルが「上まで歩いていくか?」と聞きました。上りは下りよりも更にきつい運動量になるはずです。上り専用の大型エレベーターが二基あり、順番待ちの人々が長蛇の列をなしていました。私は「ああ、歩こう。」と言い、息弾ませて階段を上りきりました。地上に出ると、灼熱の太陽が輝いていました。空気は熱風のように感じられました。

 ブコビナ地方の修道院巡りを終えるとコステルが言いました。
「サトーに見せたいものがある。ビカズ峡谷だ。なにしろルーマニア一番の景観だと聞いている。そこにはビカズ湖とロシュ湖があり、大きな滝もある。きっと君も気に入るだろう。実は私自身も是非見てみたいのだ。」
 私はその提案を嬉しく思い即座に同意しました。ところが山道は九十九折りにくねっていて、走っても走っても目的地にはなかなか辿り着きません。
 15時40分、私たちはようやくビカズ峡谷に到着しました。グラ・フモールルイから昼食時間も含め、延々4時間40分を要しました。 

   ビカズ峡谷の駐車場はどこも車でいっぱいでした。駐車場の近くには出店が立ち並び、多くの旅行者でにぎわっていました。私たちがここに着くまで交通量はあまりなかったので、正直こんなに車や人が多いとは思いませんでした。
 旅行者の中にはカメラを持つ外国人もたくさん見られました。
 マリアさんからトゥルダ峡谷(Cheile Turzii)を案内してもらったときもその景観に圧倒されましたが、ビカズ峡谷はルーマニア一といわれるだけあって、そのスケールも壮大なものでした。巨岩、奇岩がつくり出す景観はどこまでも果てしなく続いているように思われました。青く晴れ渡った空に流れる白い雲、谷川を流れるせせらぎの音。そこには悠久の自然がありました。
 
(ロシュ湖) Lacul Roș. 2010.8.7
 ロシュ湖はビカズ湖と隣接する湖で、それほど大きくはありませんでした。こちらにも観光客が多く、また、避暑に訪れて長期滞在しているのではないかと思われる人々も多くいました。木陰のベンチでのんびり過ごす人々、ボートに乗って楽しむ家族やカップルがたくさん見られました。
 
(ビカズ湖) Lacul Bicaz 2010.8.7
 私は5年前の旅行でヴィデラル湖(Lacul Videral) を見ましたが、そこよりもこちらの湖の方が大きいというのが実感されました。
 この湖は小川に注ぐところがダムのように堰き止められ、水の出水量が調節されていました。そこで調節された水はコンクリートの壁を伝って谷底200メートル(もしかしたらそれ以上)の小川に流れ込みます。その斜めに切り立つコンクリートの壁を伝って水が流れ落ちる様をコステルはカスカーダ(滝)と説明したのです。それは迫力のある光景でした。
この日の午前中グラ・フモールルイの町にある二つの修道院を見学しました。
【フモール修道院】 Mănăstirea Humorului
   
 世界遺産に登録されているブコヴィナ地方の修道院はどこも観光客が多く、ここにも多くの旅行者が見学に集まっていました。聖堂は黄金の装飾が施され、厳かできれいでした。
 門前に出店がたくさんあり、私はここで民芸品(手芸品)を買いました。白地の布に赤い花が色鮮やかに刺繍されていました。コステルの奥さんへのプレゼント用にもう一枚買うと、コステルはとても喜びました。
 
【ヴォロネツ修道院】 Mănăstitea Voroneț
   
 修道院の西面には「最後の審判」が描かれており、この壁画を見るだけでブコヴィナを訪れる価値があると言われるほどの傑作と言われています。
 壁画の青が鮮やかで、「ヴォロネツの青」と呼ばれるそうです。聖堂内でイエス・キリストのイコンを見たときは身が引き締まるような感動に包まれました。

 16時30分にスチャヴァに到着しました。私はこの町で聖ゲオルゲ・ノウ教会と大城塞を見学しました。
 モルドヴァ公国の初代大公ペトル1世が1388年にこの地に城塞を構え、以後歴代の君主によって拡充強化され、難攻不落の大城塞になったということです。観光案内書には Zidurile Cetățiiと載っていましたが、そのように尋ねても地元の人も首をひねるばかり。訪ね当てた大城塞にはCetatea de Scaun という名称が当てられていました。中世期のモルドヴァ栄光の時代に築城されたものの中では最大のものと言われています。
  スチャヴァを見学した後、私たちはグラ・フモール方面に車を走らせ、夕方ホテルに入りました。
 

 【プトナ修道院】 Mănăstirea Putna
 プトナ修道院に着いたのは14時30分でした。
ここはシュテファン大公が1466年に建てたものだそうです。シュテファン大公ゆかりの遺品を展示する博物館があったのでそこも見学しました。大公の愛用した sabie(剣)などがあり、興味深く見ました。聖堂の内部には聖天使たちのイコンが描かれ、そのフレスコ画は息をのむような美しさでした。
 広い庭内をゆっくり散歩しました。清めの井戸があったので、そこで手を洗い、口をすすぎ、花々に囲まれながら写真を撮りました。
【スチェヴィッツァ修道院】 Mănăstirea Sucevița
  スチェヴィッツァ修道院には13時に着きました。門前には出店が立ち並び、イコンなどの土産物を売っていました。敷地内の広場では祭礼が行われ、多くの信者であふれていました。やがて祭礼が終わると賛美歌の歌声が響いてきて、広場では神父たちが信者にパンの施しを始めました。私が興味深そうにすると、コステルは、
「君は異教徒なのだからパンの施しをもらってはいけない。」とたしなめました。
 聖堂の内部は金の装飾が施され、とても厳かな雰囲気に満ちていました。
 この日はボクダン・ヴォーダのペンションを8時前に出発し、マラムレシュ地方からブコビナ地方へと大移動の日になりました。この日はイエスの祝日の一つ Schimbarea la fața の日なので、朝食が出ない特別な日だったのです。11時近くになってようやく山荘を兼ねたレストランが見つかり、遅い朝食を食べることができました。
 修道院巡り最初の地モルドヴィッツァ修道院には正午に到着しました。多くの観光客で賑わっていました。敷地内には綺麗な建物が多く、窓辺には美しい花が飾られていました。
 お堂に入ると撮影は禁止でした。撮影できる場所も少しありましたが、その場合には撮影料を払う必要がありました。お堂ではイコンに口づけしたり蝋燭を灯してお祈りする人々を多く見かけました。
 ブルサナ村の次にボグダン・ヴォーダ村の木の教会を見、その夜はこの村に宿泊しました。村の中心に感じのいいペンションが見つかりました。ペンションの向かいに聖王ボグダン・ヴォーダの銅像が立っていました。
 夕食はトキトゥーラ(豚肉とソーセージのシチュー)、ミテティ、サラダ、ビール、白ワインと豪華版になりました。運転手のコステルが旅行の費用がかさまないようにと気遣ってくれるので食事くらいは好きなものを食べ、好きなものを飲んでほしいと思い、財布の紐を緩めました。
 私の学生時代の思い出をルーマニア語で書いた回想記“Amintiri din tinerețe”(『青春の思い出』)を12月12日に出版しました。
 この本はルーマニア語の勉強を深める目的で始めた作文をまとめたものですが、多くのルーマニア人から教えをいただきながら長い歳月をかけた末にようやく完成しました。大学のサークル活動、アルバイト、東北一周旅行、京都への一人旅、下宿生活、大学紛争、教育実習、採用試験、卒業論文の思い出など116のエピソードが収められていますが、全編を貫いているテーマは叶えられることのなかった初恋への哀惜の思いです。
 編集は関口コルネリア女史、表紙は小笠原イルディコ女史がデッサンしました。また前書きは関口コルネリア女史、後書きはヴェロニカ・キム女史が書いてくださいました。
 日本にお住まいのルーマニア人、モルドヴァ人からの問い合わせを多数いただき、100部限定出版だったため、ご希望のあった方々への頒布は三週間で終了しました。
 なお今後ご希望される方にはPDFでの頒布を検討しています。